2025年3月31日、池袋の「リビエラ東京」が再開発に伴い閉館しました。1950年に料亭「白雲閣」として創業し、2025年1月には75周年を迎えた老舗の宴席・結婚式場が、その長い歴史に一区切りをつけました。
木造3階建ての格式ある建物は、多くの人々の記念すべき場となり、数えきれない思い出を紡いできました。現地建物の北側には、今から20年以上前の2001年に掲示された「建築計画のお知らせ」が掲示されており、予定建築建物の概要には、地上38階、地下3階、高さ145mの結婚式場や店舗、事務所、共同住宅等から構成される延床面積49,920㎡の超高層複合ビルのイメージも描かれていました。
現在、進められている再開発計画の具体的な規模やイメージは公表されていませんが、池袋駅徒歩圏内の好立地に位置しており、高密度な複合施設になる可能性もあります。
リビエラ東京の閉館の概要
- 創業と歴史
1950年に料亭「白雲閣」として池袋で創業し、2025年1月23日に75周年を迎えた。長年にわたり、多くの人々に愛され、リビエラ東京として発展。 - 再開発による閉館
2025年3月31日に閉館予定。再開発の一環として、池袋の未来に貢献するまちづくりが進行中。 - 大火からの復興
1954年に大火で旧館が全焼したが、翌日から新館で営業を再開し、盛業を迎える。 - 会席料理の導入と文化革新
温かい料理を温かいうちに提供する「会席料理」のスタイルを取り入れ、ワインと日本料理のペアリングを提案。新しい食文化を広める。 - リビエラへの屋号変更
1995年に「白雲閣」から「リビエラ」を冠した屋号に変更。リビエラカントリークラブのホスピタリティを取り入れた。 - 結婚式場とレストランの変革
1990年代から新しいウェディングスタイルを提案し、2つの異なるタイプのチャペルやレストランの開業など、時代のニーズに応じた施設の進化。 - 未来の池袋再開発
75周年を迎え、池袋での新たな未来を築くために、再開発計画が進行中!

リビエラ東京の歴史は、1950年に開業した料亭「白雲閣」にさかのぼります。創業者・堀江浅蔵は、戦後の混乱が続く中、池袋に本格的な高級料亭を開業し、上質な食文化と宴席文化を提供しました。当時の池袋は現在のような繁華街ではなく、復興の途上にあったため、この料亭の誕生は地域の社交場としての役割を果たしました。
「白雲閣」は、著名な作家や芸術家、政治家、経済界の重鎮などが集う場として発展し、多くの文化的交流が生まれました。静かな日本庭園を眺めながら、旬の食材を活かした会席料理を楽しむことができるこの料亭は、池袋における格式高い宴の場として広く認知されるようになりました。

1954年、開業からわずか4年で「白雲閣」は大火に見舞われ、旧館が焼失しました。しかし、創業者の迅速な決断により、すでに建設されていた新館を活用し、なんと翌日には営業を再開。その粘り強い経営姿勢は、後のリビエラ東京の発展へとつながる基盤となりました。
その後、敷地を拡張し、より豪華な宴会場を備えた施設へと進化。庭園には滝を設け、四季折々の風情を楽しめる空間を演出しました。また、一部には温泉を併設し、都市にいながらにして贅沢な時間を過ごせる料亭として高い評価を得ることとなりました。

1995年、「白雲閣」は大規模なリブランドを行い、「リビエラ東京」として新たなスタートを切りました。伝統的な和のもてなしに加え、世界水準のホスピタリティを融合させ、より幅広い客層に対応する施設へと変貌を遂げました。
特に結婚式場としての需要が増え、多くのカップルがここで人生の門出を迎えるようになりました。和の要素を取り入れた格式高い挙式や、都会の喧騒を忘れさせるようなガーデンウエディングなど、多彩なプランが提供され、多くの人々の記憶に残る場所となりました。
2016年には大規模改装を実施し、緑あふれる都会のオアシスとしての魅力をさらに強化。ガーデンスペースを拡充し、開放感あふれる空間を演出することで、訪れる人々に癒やしと安らぎを提供し続けました。

Google Earthで作成した当初計画通りに、高さ145mの超高層複合ビルが建設された場合のイメージです。もともとの計画では、結婚式場を併設したタワーマンションのような構想でしたが、新たな計画ではどのような形になるのでしょうか。
池袋駅周辺の再開発が進む中、住宅需要や商業需要のさらなる高まりが予想されます。また、超高層建築物が建設されることで、都市景観にも大きな変化がもたらされるでしょう。今後の具体的な計画の発表が待たれます。
最終更新日:2025年4月1日