2025年11月1日(土)、山手線は環状運転開始100周年を迎えます。山手線は、1909年に旅客輸送を開始し、1925年に環状運転が開始された歴史ある鉄道路線です。東京の山の手地域を結ぶ環状線として、都心の主要駅や副都心を効率的に結び、通勤・通学や観光、都市生活に欠かせない役割を果たしています。戦後の高度経済成長期には輸送力増強や車両更新が進み、現在のE235系をはじめとする近代的な車両が導入され、安全性や快適性が向上しました。
山手線の環状運転開始100周年を記念して、「つながる山手線フェス ~環状運転100周年~」が開催されています。フェスは2025年10月4日(土)から11月3日(月・祝)まで、山手線沿線の各駅や施設で展開され、「つながる」をテーマに沿線地域や企業とのコラボ企画、鉄道イベント、記念商品の発売、音楽やアートの展示など、多彩なイベントが実施されます。さらに、環状運転100周年記念ラッピングトレインや、東京観光列車「東京まるっと山手線」の運行も予定されており、沿線で働く社員による企画も体験できます。
→東日本旅客鉄道株式会社 山手線環状運転100周年を記念して「つながる山手線フェス ~環状運転 100周年~」を開催します!
山手線環状運転100周年の概要
- 環状運転100周年記念
山手線の環状運転開始100周年記念イベント。沿線各駅や施設で展開される鉄道フェス。 - つながる山手線フェス
「つながる」をテーマにした多彩な企画。コラボイベントや音楽・アート展示を実施。 - 記念ラッピングトレイン
環状運転100周年を記念した特別デザインの列車。沿線での展示や運行イベントの実施。 - 東京まるっと山手線
観光列車の運行による沿線体験。地域や企業とのコラボ企画による参加型イベント。 - 沿線地域とのつながり
駅周辺施設や地域コミュニティとの連携。地域活性化や沿線乗客への感謝の取り組み。 - 山手線の歴史
1909年旅客輸送開始、1925年環状運転開始。東京山の手地域の交通の中核としての役割。 - 現代の山手線
E235系など近代車両による安全性・快適性向上。都市の発展と沿線とのつながりを維持。

山手線の前身は、日本鉄道が1885年(明治18年)に開業した品川線です。当時、日本鉄道は関東地方の内陸部や東北・北陸方面と、横浜港を結ぶ鉄道輸送網を構想していました。横浜港は当時国内有数の貿易港であり、生糸などの輸出品を効率的に輸送する必要がありました。しかし、既存の路線を利用するには江戸の下町を通過する必要があり、人口密集地での鉄道建設は大きな困難を伴いました。そこで、当時まだ人口の少なかった山の手地域を通す計画が立てられました。山手(現在の新宿駅側)に線路を敷設することで用地確保が容易となり、後の都市交通網の骨格形成につながりました。

また、日本鉄道の構想には、当時の最新鉄道技術の導入が含まれており、ドイツ人技術者ルムシュッテルやフランツ・バルツァーの指導により、ヨーロッパの高架鉄道や測量技術を取り入れた設計が行われました。これにより、後の山手線の環状運転を可能にする土台が築かれました。

フランツ・バルツァーは、東京市街地の都市計画と鉄道網の整備を密接に関連付け、山手線の環状運転構想を具体化しました。東京は明治期から人口が急増しており、都心部の交通需要はすでに高かったものの、下町の狭隘地では地上鉄道の建設が難しい状況でした。そのため、バルツァーは郊外の山の手を環状に結ぶことで、都心を迂回しながら主要ターミナル駅(東京駅、新宿駅、品川駅、上野駅など)を接続する構想を描きました。さらに上野駅と新橋駅間も都心部を高架鉄道が貫いていたベルリンをモデルとして、高架鉄道により接続することとなりました。


この構想は単なる鉄道計画にとどまらず、都市開発の方向性にも大きな影響を与えました。沿線駅を拠点とした商業施設や副都心の発展が進み、渋谷、新宿、池袋などの郊外鉄道との乗り換え結節点となるターミナル駅を中心とした副都心が形成され、東京市街地の拡大と都市構造の多極化を促進しました。山手線は、都市開発と鉄道輸送の双方を支える都市の骨格として機能することとなります。


山手線は1909年(明治42年)に旅客輸送を開始しましたが、当初は上野駅 – 品川駅間の単純往復運行のみでした。関東大震災(1923年)後、下町一帯の復興に伴い用地買収が進み、1925年(大正14年)に現在の環状運転が開始されました。
環状運転開始当時のダイヤは、毎時5本(12分間隔)で運行され、一周の所要時間は72分でした。池袋駅‐赤羽駅間は10分、通勤時間帯には臨時電車も運行されていました。戦後の高度経済成長期には、輸送需要の増大に対応するため増発や線路分離が行われ、田端駅 – 田町駅間は山手線専用の内側線となり、外側は京浜東北線として分離されました。こうした整備により、山手線は環状運転としての現在の形態を確立しました。

山手線は常に技術革新の舞台となってきました。1963年からはウグイス色の103系が主力となり、その後205系、E231系、現在のE235系と車両が更新され、利便性や安全性が向上しました。
車内情報装置(VIS)の導入、スマートフォン連携サービス「山手線トレインネット」、防犯カメラの全車両設置など、乗客サービスと安全性向上の取り組みも進められています。さらに、2035年を目標に山手線への自動運転導入が検討されており、AIを活用した運行管理や高度な自動制御システムにより、安全性・正確性のさらなる向上が期待されています。


山手線は東京を放射状に結ぶ鉄道網の中心として機能しています。新幹線や私鉄、地下鉄各線との接続により、都心・郊外・地方を結ぶネットワークの中核を担っています。私鉄各社は山手線沿線にターミナル駅を設け、百貨店や商業施設を展開することで都市の副都心が発展しました。これにより、山手線は単なる輸送路線を超えて、都市空間の形成に深く関わる存在となっています。
また、山手線と並行する路線(京浜東北線、埼京線、湘南新宿ライン)の整備や新線開業により、混雑の緩和と輸送力の増強が図られており、東京の都市交通網の進化を支えています。


100周年を記念した「つながる山手線フェス」は、沿線地域や企業とのコラボレーションを通じて、多彩な企画を展開します。特に注目は、103系・205系を復刻したラッピングトレインの運行で、先頭車両には100周年オリジナルヘッドマークを搭載し、沿線の人々や観光客に往年の鉄道の雰囲気を伝えます。また、東京観光列車「東京まるっと山手線」や沿線での音楽・アートイベント、記念商品の販売など、地域と鉄道のつながりを体験できる内容となっています。

山手線は通勤・通学のみならず観光や文化的活動にも利用され、東京の都市生活の中心として機能しています。2020年3月14日には、山手線で一番新しい駅となっている「高輪ゲートウェイ」駅が開業し、駅まち一体開発として進められたTAKANAWA GATEWAY CITYも2025年3月にまちびらきをしています。
今後も、山手線ではAIや自動運転技術の導入、車両更新、沿線施設の整備により、より安全で快適な交通手段を提供することが期待されています。都市開発や沿線文化の発展を支える存在として、山手線は次の100年も東京の都市生活に欠かせないインフラであり続けるでしょう。
最終更新日:2025年10月31日

